3月11日(金曜日)に発生した「東北地方太平洋沖地震」についてのまとめ。
その日その時間はオフィスでPCに向かっていたわけだが、最初の揺れの時、「ああ、いつもの震度3程度の地震かな…すぐ収まるだろう…。」と思ったら、揺れがよりハードに。「ああ、高層ビルの中だから、地上よりも大きく揺れるよな…ん!?その割には大きいぞ。って言うか、もしかして『ガチな方の地震』じゃないのか?」と思った瞬間、立つ事が出来なくなるほどの大きな揺れが。
小中学校の避難訓練のとき以来、初めてデスクの下に潜り込む。しかしながら、身体をしっかり地に付けないと、飛ばされてしまいそうな勢い。地震というのはこんなに凄まじいものなのか!!小中学生の時は、月1回のペースで訓練をするたびに、辟易していたものだが、辟易していたとしても、あの時の行動は身体に染み付いており、変に慌てる事も無く、事が収まるのを待っていた。
窓の外を見ると、都心のあちこちで火の手が上がり、空を見ると、オフィスがあるあたりは飛行禁止エリアであるはずなのに、全日本空輸のエアバス機がありえないほど低い高度で飛んでいる。
携帯電話を開き、ワンセグをNHK総合にすると、地震を知らせるアナウンスと、各地の被害状況を刻一刻と伝えている。オフィスにいる人たちは、18時前に帰ってしまったが、自分たちはちょっと問題を抱えていたので、24時近くまで残る羽目に。正確に言うならば、海外の取引先でちょっと問題があり、彼等が遅々としてなかなか善処してくれない状況に苛々していたのだ。メールではお悔やみの言葉を述べながら、問題になかなか対応出来ていない姿は、悪意に慇懃無礼を掛け合わせたものをぶん投げられているかのような感覚に襲われて、正直自身以上にキレてしまいそうだったのだが、本当にキレてしまうと洒落にならないので、余震で揺れる中、ゲロを吐きそうになりながらメールとインスタントメッセンジャーで20分に1回交互に催促するという作業を延々と続けていたのだ。
帰り。JR東日本はすべての列車の運行をやめてしまい、東京メトロもほんの一部を除いて動いていない状況だったので、バスで帰る事に。しかし、バスの行き先はバスの車庫までとのこと。満員のバス。静寂の中、自分の隣のカップルが、「地震のどさくさに紛れて女の人襲っちゃう人がいるらしいよ。」「へぇ~、そんな人といんの?」「もしかして襲っちゃう気まんまん?」「はーい!!」「もぉっ♥」みたいな会話をしている。苛々しないかと言えば嘘になるが、いちいち気にするのも癪なので、敢えて思考を停止してみる。
バス車庫からは徒歩で都道を北上し、平方さんがいつも使っている私鉄の駅を目指す。
途中、トイレを借りるためにJRの駅近くにある区のホールの中に入ると、コンコースに多くの人たちが毛布に包まって所狭しと横になっている。数年前の新潟県中越地震や、1995年の阪神大震災の報道で見たような風景が、アクチュアルなものとして、自分の目に焼付いている。
トイレを済ませ、再度都道を北上。私鉄の駅に辿り付いたのは2:30頃。驚くべき事に、電車が動いており、しかも急行運転まで実施している。
結局自分の住まいに到達したのは3:30頃。
12 日(土曜日)。TVを観ると、嘗て、現在の人類が経験した事が無いような大災害が発生している事が段々分かってくる。一方、平方さんの住まいについては、本棚が崩れたり、サラダ油が入った鍋がひっくり返って床がヌルヌルすることなく、唯一被害があったのは、窓ガラス1枚にひびが入った程度。
13日(日曜日)。実家がらみでの手伝いをしつつ、近所の西友に行くと、パン・牛乳・米の棚がすっからかんになっている状況にドン引き。
14日(月曜日)。翌日から自宅待機。あくまで自宅待機であり、休みではない。計画停電に備え、バスタブに水を溜める事に。集合住宅なので、電気が止まると当然ポンプが止まるので、水が出なくなるからだ。