20代を『無駄』に過ごしたのか?或いは『不毛』な時間だったか?
何を以って『無駄』であったり、『不毛』と判断するのは、人それぞれの物差しで、しかもその物差しは、過去の経験や、今迄得て来た知識によって形成されたものだから、他の人との乖離はある意味必然ではあると思う。
ただ、自分の中では、『無駄』と『不毛』は似て非なるものであり、その違いとは、
『無駄』は、自身のリソースの浪費だが、時として現在そして未来の自分を形成する要素もあるのであながち無視できない事項
『不毛』は、自分にとって無意味か毒になるリソースの浪費
ではなかろうかと解釈している。
28~29歳あたりから、自身が行き詰ったときは、一旦周囲との関係や立場を横に置き、自分の本当の望みは何か?或いはどうありたいのか?ということを素直に考え直し、それが現実と乖離しているときは、軌道修正を図るようにしてきた(まるで『アンパンマンマーチ』の歌詞だ)。
それ以前、22歳~28歳位までの平方さんはどうしていたかと言うと、現実の自身に失望し、自分の望みを実行することに、実体以上の大きなリスクを感じ、躊躇したり、自身の能力を過小評価し、見えない評価に怯え、半分何かを諦めているような生活を日々送っていたのだ。
そんな或る時、このまま他人に気を使い尽くして年を取り、それを評価されぬまま座して死を待つことになるのでは?という不安にさいなまれ、行き着いた答えは『他人にどう思われようと自分の好きに生きよう。』ということだった。
勿論コンプライアンス遵守という前提条件は残るが、何も行動を起こさないで、後から後悔するのは厭だし、同じ後悔であれば、自分の好きなことをしてする後悔のほうが良いではないかと。
その結果、平方さんのもとを去る人が出てきても仕方が無いし、去る人を責めるつもりは無い。なぜなら自分も誰かのもとから去ったことがあるから。
その一方で、本当に平方さんのことをユーズフルかつ大切な存在であると思ってくれるのであればそのまま留まってくれるだろうと考えるようになり、それは実際にそのようになり、言い方は悪いかもしれないが、人間関係が整理・淘汰され、そして新しい人間関係が構築されるという流れはいわば、スクラップ・アンド・ビルドの連続だと割り切ればそれはそれで以前よりかは苦では無くなっているのも事実。自分の住む町のジャスコが閉店し、隣町の郊外に巨大なイオンモールが開店するかのように。
もっと言えば、今の平方さんはいざとなったらボロ雑巾を捨てるが如く他人を切り捨てる冷酷な人間だったりする。って言うか、生きるために現実に何人もの人を切り捨てたり、潰しにかかったりしたこともあるしね。特に善人顔して近づいて、足を引っ張るような連中に対しては容赦はしなかった。●●県××市在住のアイツとか、かつて平方さんと同じ職場(今のところじゃないよ)に転職した偽善者のアイツとか。最近そんなことは無いけれど。無いということは、或る程度人間関係の整理がついたということなのだろうが。
20代の大部分を支配していた考え方の原体験として、子供のころ、よく親から『お前は我侭な奴だ』とよく言われていたが、あの当時の自分は、『これだけ他人に迎合している自分が何故「我侭」と言われるのか?』と疑問に思って日々悶々とし、更に縮こまって日々の生活を送っていたものだが、今思えば、親や他人の思うようにならなかった部分が「我侭」に映っていただけであって、実際はそうではなかったのだ。それに気付くまでにかなりの時間が掛かったが。
しかし、別に平方さんは親を責めるつもりは毛頭無い。長男、いや、第一子であるが故に、どうすれば良いか分からなかっただけなのだから(一応フォローしておく)。
あと、これは人の言葉の受け売りだが、人は何故がっかりするのか?それは期待するからであり、最初から期待しなければがっかりなんてしないのだよ。ましてや、他人なんて自分のコントロールの範疇の外な訳だから、当然がっかりする確率は高くなるしね。うひゃひゃひゃひゃひゃ。どうせ期待するなら自分自身に期待しましょう。少なくとも『納得するがっかり』で済むし。
いかんいかん。珍しく真面目な文章になってしまった。こうなったらバランスを取るしかない。